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GYROAXIA TOUR 2022 -Freestyle-

 GYROAXIA TOUR 2022 -Freestyle-(2022年8月6日ー2022年9月3日/仙台GIGS(宮城)、なんばHatch(大阪)、アイプラザ豊橋(愛知)、TOKYO DOME CITY HALL(東京))

 

【GYROAXIA】GYROAXIA TOUR 2022 -Freestyle- ダイジェスト映像
 2022年8月6日、仙台のライブハウスにおいて、私はステージ上の人から目を離せなかった。あまりに華やかで生き急ぐように命を燃やして歌声に変換しているようなボーカル。意識をしっかり持っていないと途端に置いていかれそうだ。身体に芯を入れて足をしっかりと踏み締める。目の前の光景と音は止まる気配もなく進んでいく。彼が焦れているのか、己が焦れているのか分からなくなるほど、その姿は焦燥感とエネルギーを孕んでいた。旭那由多、その人。私はあの日、彼を見初めてバンドを結成した里塚賢汰が、彼の人と初めて邂逅した瞬間を追体験しているようだった。彼の放つ圧倒的な物語性に打ちのめされていたのだ。

 ただ、なぜそう感じたのかこの日は理解が追いつかず、「旭那由多が物語すぎる」という言葉がライブ中ずっと頭をぐるぐる回っていた。終演後、会場を後にしてホテルに足を急がせる。盛夏の仙台は不思議と肌寒く、ライブ後の胸に疼く熱だけが自分の存在を証明しているようだった。

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 GYROAXIAはメディアミックス作品「from ARGONAVIS」(旧「ARGONAVIS from BanG Dream!」)発のロックバンドである。

 二次元のキャラクター達に声を当てている声優キャスト陣がリアルバンドとして活動しライブを行っている。私はGYROAXIAの結成と共に同プロジェクトの興行へ参加を始めたためほんの新入りの身であるが、他の4バンドのキャラクターやバンドのストーリー、多種多様な音楽性、そしてキャスト陣が心血を注いで作り上げる姿にも日々心を震わせている(素晴らしいバンドばかりなので興味のある方は是非触れてみてほしい)。

 今夏、GYROAXIAはバンドにとって初となるツアー公演を開催した。開催場所は仙台GIGSの2Daysを皮切りに、大阪なんばHatch、アイプラザ豊橋、そして彼らの初お披露目となった東京ドームシティホールである。全5公演、今年の夏を彼らと共にした思い出を記憶の限りで振り返っていきたい。

8月6日 仙台GIGS(1日目)

 人生で初めての仙台。当日までわりとぼんやりしていたが気がついたら仙台駅にいた。ちょうど仙台七夕まつりの週末だったため、駅舎には沢山の七夕飾りが飾られていた。楽しい……。東北勢の友人達が「筆者ちゃんが仙台駅にいるの!?」と喜んでくれて嬉しかった(私は顔見知りの友人に非実在人物だと思われている)。

 ひとりで写真を撮りまくり、ずっと駅で遊んでいられそうだったが、物販グッズを購入しなくてはならない。また、仙台といえばずんだか牛タンと聞いていたが、タンに疎い人間のため、「いざとなればその辺を歩いている牛の舌を引っこ抜けばいいか……なんなら人の舌でも……」と考えながら会場に向けて出発した。当たり前のように牛さんは歩いていなかったが、会場周辺はとてものどかで誰も歩いていなかったため、人さんの舌も抜かずに済みました。よかった。

 

 仙台GIGSのドリンクチケットはオリジナルピックだった。とてもかっこよい。

 開演時間が近づくと会場周辺はGYROAXIAファンでひといきれになった。入場、開演。ここで話は冒頭に戻る。年始のライブで見たきりだったので、久しぶりにGYROAXIAの音を生で浴びられてとにかく嬉しかった。ボーカルの小笠原仁さんが歌う姿を見られたことも嬉しくて泣いた。理由は後述する。

8月7日 仙台GIGS(2日目)

 昨日のライブで受けた衝撃がものすごく、止まらぬ感想を朝4時まで書いて就寝したが割と早起きした。せっかく宮城県に来たため北の方にも行ってみようと算段し、東日本大震災で影響を受けた地域を訪れた。駅の外階段で浸水した跡のようなものを見つけて、あ、と思った。写真には残さなかった。

 ライブ会場に向かう途中、七夕まつりの様子を見ることができた。3年ぶりに通常モードで開催されたらしく、屋台などは出ていなかったが大賑わいだった。大好きな作品である『僕のヒーローアカデミア』とのコラボ七夕飾りも見ることができた。人の願いが込められた七夕飾りはとてもきれいだった。おそらく込められている願いや祈るという行為自体が美しいからだろう。GYROAXIAが連れてきてくれた仙台はとても素敵な土地だった。

 

 仙台2日目、開演。

 ライブ中、ボーカルの小笠原仁さんがマイクスタンドを肩に掲げてお立ち台に登った。那由多がGYROAXIAを引っ提げて登場した。見た瞬間、どうしようもなくたまらない気持ちになった。

 実は今回のツアー公演が始まる前にも私はこのマイクスタンドに特別な感情を抱いていたことがある。6月26日、都内某所でミニアルバム購入者から抽選で選ばれた人を対象にシークレットライブが開催されたのだが、昨今の厳しい情勢下の影響でとあるメンバーの方が急遽出演できなくなった。ライブの中止も危ぶまれたが、残ったメンバーがキャラの姿を纏わない「じゃいろあくしあ」としての姿でライブを行い、場を守ってくれた。通常と形態は異なったが、この日はこの日だけの特別なライブになった。より一層GYROAXIAのことを好きになった一日だった。

 ただ、私はライブ中、とある曲においてマイクスタンドに目が釘付けになってしまった時間があった。ライブスタッフさんがこの日のために考えた照明プランを覚えていたい気持ちとともに、照らされたマイクスタンドが色濃く見えて、不在であることがかえって彼の存在を強調させているようで目の前のマイクスタンドから目を離すことができなかった。恐らくメンバーの皆さんやあの場にいた観客も同じように感じていたのだろう。その後、あるメンバーさんが自然と「彼もここにいる」とマイクスタンドを真ん中に据え、他のメンバーからも「ずいぶん身体を絞ったな」という声が掛けられた。終演後のメンバー集合写真ではマイクスタンドを囲んだ笑顔のメンバーが写っていた。これがGYROAXIAだ。とても幸せな気持ちになった。

 ……という経緯があり、マイクスタンドを掲げて登場した姿を見て想いが溢れ、まるでシークレットライブの時に抱いた想いが昇華されたような気持ちになったのである。また、仙台1日目に泣いたのもこのような経緯があったためだった。彼の元気な姿を見られたことがシンプルに嬉しかった。

 絶対王者の姿で帰ってきた彼らが生み出す音はまさにロックバンドのそれだった。ライブ2日目の会場の熱気は否応なしに高まり、難しいことを何も考えず、ただ音楽に身を任せてライブの熱を存分に浴びた。きっと観客の熱はステージ上にも伝わっていたんじゃないだろうか。それくらい、皆が拳を掲げ、思い思いに音に乗り、盛り上がったライブだった。

 

 結局、牛タンは友人が食べていたものを一切れ貰い、初めてのずんだシェイクを飲んで帰途に着いた。ずんだシェイク、おいしい。好き。仙台。良い旅でした。

8月13日 なんばHatch

 大阪に、来たー!なんばHatchは全国的にも有名なライブハウスであるが訪れたことがなかったため来れて嬉しい。GYROAXIAには初めてのことを沢山経験させてもらえている。

 ライブツアー3公演目はメンバーの橋本真一さんの生まれ故郷である大阪で開催された。私がただひとり心に決めて愛し、応援している方(筆者は普段、親しみと敬愛を込めて真一さんと呼んでいる)の凱旋公演は感慨深さとドキドキと楽しさでいっぱいの時間だった。楽しすぎて体感が秒だった。個人的な想いになるが、大阪は真一さんの地元であり、私もその時々で真一さんが出演する公演やイベントに参加してきた地である。当時には予想もしていなかったギタリストの姿でステージに立ち、みんなに愛され求められている姿を拝見することができて感慨深さがひとしおだった。真一さんが弛まぬ努力を一歩一歩積み重ねてきた日々が現在につながり、私も真一さんを大好きになってから現在までがしっかりと地続きであることを心の底から実感し、初心に帰るような気持ちだった。

 地元公演ということもあってか、この日のMCは真一さんが担当した。大阪ならではのローカルCMの話題(関西電気保安協会、ホテルニュー淡路)で笑いをかっさらうキレキレの真一さん。笑いだけでなくギター演奏もキレキレです。世界一かっこいい。私も関西出身であるためローカルCMの話題が手に取るように分かり、他の地域出身のメンバーとのギャップがまた笑いを誘った。

 そして真一さん演じる里塚賢汰もMC担当だった。里塚賢汰はライブハウスで歌う旭那由多を見初め、彼の音楽を世界に知らしめるべく那由多をボーカルに据えてGYROAXIAを結成した。滅私どころではない働きぶりに「賢汰さん自身の音楽への欲はあるのだろうか、いつか見てみたい」とずっと思っていたのだが、この日のMCで賢汰さんは「後ろで支えるだけが俺の役割じゃないのかもしれないな」と語ってくれた。後ろだけではなく前にも出てみることに関心を持った賢汰さん。しかしその目的は変わらず、那由多の音楽を世界に知らしめることだ。筆舌に尽くし難いほどに、とても賢汰さんらしい欲の形。彼自身にもこのツアーを通して変化が訪れている。時間とともに変化する、進化。それはつまり生きているということだ。あまりのうれしさにまた泣いた。ずっと見てみたかった賢汰さんの姿がそこにあった。最初から最後まで幸せで堪らない一日だった。

8月14日 アイプラザ豊橋

 翌朝、私は名古屋駅にいた。瞬間移動でもしてるのかな……。昨晩も会っていた友人と翌朝も会っている。インターハイ前の部活?

 なんとか賢汰さんカラーのご当地別デザイングッズも得たので友人と愛知ならではの昼食を食べた。こんなにご当地を感じたのはツアーの中で初めてだったのでとてもよい思い出になりました。

 

 ライブはまたしても体感が秒だった。ありがたいことにとても前の席だったせいかあまり物事をよく覚えていない。この日はボーカルの小笠原仁さんがサプライズで誕生日を祝われ、出されたケーキをなぜか自分で袖まで片付けさせられていた。これがGYROAXIAである(?)。ほぼ記憶がないのは人格そのものがライブになっていたためでもある。終演後の手の様子から伝われば幸いである。左手の親指の付け根です。

 

シンプルに怪我

9月3日 TOKYO DOME CITY HALL

 ついに迎えたツアーファイナル。ここまで円熟味を増してきたツアーファイナルはどのような集大成を迎えるのだろう……。

 最後のツアーは逆にしんみりと落ち着いて見れるかもしれないと思っていたが、そうはGYROAXIAが卸さない。迫り来る音、煽る那由多に解放させられ、何よりもツアーを通してライブ仕様になった自分の身体が最後まで拳を突き上げ飛び跳ねさせてくれた。この1ヶ月で体力が付いたので、翌日も疲労感や身体の痛みはなく、今日に至るまでずっと元気である。GYROAXIAは心身共に健康に良いことが証明された。また、大好きなフレーズが改めて胸に刺さって本気で痛くなり、顔を上げられずに何度も泣いた。何度も聞いた「どけよ運命 俺が通るぜ」にツアーファイナルで泣かされることが幸せだった。『MANIFESTO』、もはやアンセム

 ツアーファイナルのMC担当はボーカルの那由多だった。彼から観客に向けてひとりごつように告げられた言葉。「誰もが絶対って言葉を追い求めて生きている」「でもそんなもん結局 この世には自分が立ってる今この場所しかない」。この言葉を聞き、当然の帰結だと思った。彼らがお披露目となったTDCのステージを靴で鳴らし、「今ここ」に立つ彼は誰よりも今を生きている。那由多は今を生きる。それを自然に体現するところへ辿り着いた小笠原さんの姿が美しかった。なぜ仙台初日に物語性に打ちのめされたのか。それは小笠原さんが那由多の背中に追い付かんと、何度も転んで泥に塗れるように追い求めてきた過程そのものがその身体に乗っかっているからだろう。生き様の過程が表れる身体性を持った小笠原さんはまごうことなき役者だ。そんなことに気がつくまで私はツアーファイナルまでかかってしまった。しかし、それも含めて「当然の帰結」だった。

 ライブ終盤、『Existence』の直前で語られるキャラクターの想いにはどれも強く美しい思いを感じた。私はそんな彼らを見て、ツアータイトルの言葉を借りて「各々の自由形を獲得した」と表現していた。各々の自由形とは言い換えればその人らしさを失わない進化の形である。彼らがこのツアーで得た変化・変化しなかったもの、それら全てを含めた自由形でこれからも進む姿を見てみたい。

 また、ライブ終演後にただ「今」を噛み締め、幸せを感じていることが幸せだった。真一さんのMCの言葉をお借りすると、コロナ禍で思うようにライブ活動ができなかったGYROAXIAがそれに囚われず、「今」目の前の課題をメンバー全員で一歩一歩、確認するように乗り越えてきたからこそ、また「今」この姿があるのではないだろうか。

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 ツアー期間中、GYROAXIAはさいたまスーパーアリーナで開催された「Animelo Summer Live 2022 -Sparkle-」にも出演した。昨年よりもロックバンドとしての姿を色濃く叩きつけ、会場を盛り上がらせた彼らの姿が嬉しかった。ツアーファイナル公演にはアニサマをきっかけに足を運んでくれた人もいたそうだ。

 これからも様々な人が様々な機会をきっかけにGYROAXIAを知り、様々な形で彼らを好きになるだろう。私もGYROAXIAが自由に羽ばたいていく姿をこれからもずっと見ていたい。

 

  私にとってGYROAXIAの存在は誇りである。

 

2022.9.11記